こんにちはプラズマコイです。
今日は2016年の第155回 芥川賞受賞作品である「コンビニ人間」著者:村田 沙耶香さんという本を読みました。
これは当時、話題沸騰でしたが、さすがと申しますか深い作品でした。
「普通」ではない主人公の物語
この作品は普通ではなく、理解者も出現しない一人の女性が主人公になります。
行動原理や欲求が「普通」とは違う
普通とは?というテーマは近年多いですが、僕が思うに普通って聞くと
「身の回りの殆どの人が持っている価値観」かなと思います。
普通はっていうときに問題になる点、価値観の事を言うことが多いかなと思います。
本書も、そういった価値観について考えさせられる作品だなと思いました。
コンビニ店員が天職な主人公
記事のトーンが重くなってしまうので、エンディングはハッピーエンドです!
(人によって意見は異なるかもですが)
紆余曲折あって、自分の居場所はここだ!コンビニなんだ!という自分を見つけるというゴールで、感情としての色が初めてでてきました。
というのも、主人公の感情的に上向くことは殆なく、無機質に淡々と受け止めるばかりです。
このエンディングを見てからだと、冒頭のコンビニ店員の日常を精密に描写している下りを見直してみても、ここに主人公の居場所がある、非常に前向きなシーンとして感じられます。
「こちら側」ではない主人公
ここからは、いくつかのトピックスについて考えて行きたいと思います。
行動原理が他の人と違う
「自分がされていやなことは、他の人にしない」
子供の頃こういったことを大人に言われて僕たちは育ってきましたが、倫理観、道徳観、情緒感といった部分が他の人と同じだから成り立つ原理です。
つまり考え方が違う主人公はハブられることになります。
それは、理解できないものは「排除する」という性質があります。
これをよく捉えた部分として以下があります。
コンビニは強制的に正常化される場所だから、あなたなんて、すぐに修復されてしまいすよ。
「コンビニ人間」文中より
これはコンビニを社会と変換すると、社会は異物を排除して社会のあるべき姿を保つという原理を感じる事ができます。
社会のあるべき姿とは?
絵本を読んでもらったり、学校で集団行動をおこなっていく上で、人はこうならなければならないと言うことを教えられます。
こうして、僕たちは普通の価値観を共有していきます。
昨今では多様性という言葉が浸透してきて、自分と違う人も受け入れようという風潮はありますが、それも程度の問題があって、ある程度倫理観が共通して持たれていないとなりたちません。
生理的嫌悪感を覚える対象や行動が共有されていないと、人は私とは違うあちら側の人だと感じ、理解ができないので、恐怖を覚えて、身を守るために排除に向かうのです。
必死に社会に適合しようとする主人公
とはいっても、主人公は悪人ではありません。
ハブられるのが怖くて自分を偽って生きているのです。社会に適合しようとある意味で必死に自分を周りの色にしています。
それでも無理はあるのですが、それでも適度な距離を保ち、表面として社会で生活はできています。
そしてとても純真な一面も持っている人柄であることも文中よりわかります。
もう夜11時になろうとしている。私は明日もアルバイトだ。体調管理をして健康な体をお店に持って行くことも時給の内だと、2人目の店長に教わったというのに、寝不足になってしまう
「コンビニ人間」文中より。今の店長は8人目なのに、2人目の店長の言葉を殊勝に守っている
【私の答え】理解して受け入れようと思います
ある文脈では、僕も変人だと思いますし、周りの人でこの人はあちら側の人間だなと直感的に思って自分の卑しさを感じる事もあります。
この作品を読んでの私の学びとしては、
- 変人も理解しましょう!
です!要するに、理解できないから恐怖を感じて、自分と同じ価値観に治そうとしてしまったり、排除しようとしたりしてしまいます。
主人公と同じように物事を俯瞰して考えると理解しやすい
人は感情で動く生き物ではあります。そのため、自分と違うと、上述したような行動になりがちですが、ここは主人公と同じように、
- 無機質と言われようとも、俯瞰して、素朴にその人の価値観や考え方を聞く
これが大切かなと思います。僕たちも毎日触れ合っている「こちら側」の人であっても、いまいち共感できない部分とかはあると思いますし、それの発展系として受け入れる人になる道を歩んでいくのが成長かなと思います。
最後に
本書は結構読みやすいですが、芥川賞受賞ならではの、社会に疑問を投げかける一石を投じる役割を十分すぎるほど果たせていると思います。
どうしても完全合理主義者である主人公を受け入れるのは大変ですが、こういった感覚を覚え、疑似体験させてくれた本書に感謝したいと思います。
以上です。本日もありがとうございました。